わくわく計算ライフ

ドムプラをキメつづけるブログになりつつある。

選択について~「何も悪いことはしてないのに!」じゃねぇんだよ~

昨年(2021年)は、意識して選択とつき合ってきた年でした。
やるだけで成果は上がってる実感(というか気づき?)はあったので、一旦まとめておこうと思います。
心が折れたら立ち帰れるように。

1. 選択をしない人は居ない

選択をしない人は居ないなというのが、一番大きい気付きでした。
「私は選択していない!」という人もいるんですが、それって選択しないということを選択しているんですわ。
これは、言葉遊びでもなんでもなく、これは選択権の放棄を選択しているということ。
だから、選択自体は丁寧に扱う必要があるということです。

2. 選択自体のコスト

選択した結果や、選択の為に必要なコストではなく、選択の意思決定そのもののコストについて。
これは、やっぱりよく言われている通りにメンタルコスト的なものが大きいと思いました。
選択には責任が伴うので、責任事態やリスクがマイナス側に振れたときの損失許容の精神的ダメージなどが伴います。

ざっくり一言でまとめてしまうとストレスというのが一番しっくりくるでしょうか。

3. 選択の放棄で起こること

選択を放棄することで起こることは、基本的には以下の一つ…

  • 選択権の喪失

コレですね。
また、あらかじめ決まっているかどうかは別として、失った選択権は大抵の場合他者に移動します。
ここで一つポイントなんですが、選択を放棄した際にも選択権の放棄を選択していることになるので大抵の場合選択の責任は移らないんですよね。
移ったとしても一部です(これについては後述)。

選択しないことで起きることはたいてい

2つの商品のうちでどちらかをを買わねばいけないケースで、どちらを買うか迷っている間にどちらも売れてしまいどちらも買えなくて困った

みたいなことで、「俺は何も悪い選択をしていないのに!」じゃなくて、「選択をしなかったこと自体が悪い」。これに尽きる。

4. 選択を移譲されたら

選択を移譲された側は責任を全部は追わなくても比較的低リスクで選択ができるので、結構大胆で実験的な選択ができます。
自分が普段は取らな選択をとって、失敗したら自分の時はその選択はしない、といった対応も可能です。
直接のリターンは無いにしろ選択の経験は得ることができます。

人間関係があるのであまりポンポン無責任な選択肢を取り続けるのは考え物ですが、そもそも文句があるなら自分で選べよという面はあるし、自分でほとんど決断しない人は責任を他人になすりつける傾向が強い(「なんでもいい」と言ったのに結果に怒ったりする人)ので、相手によっては結構適当に選択しちゃいますね。
それで、縁が切れても問題ないや、替わりに新しく良い人とつき合おう、みたいな。

5. 上手な選択の移譲の仕方

とは言え2で述べたように全部が全部いちいち選択しているとストレスがしんどいのでうまい具合に他所に移譲することは必要。
方針としてはたった一つ。

  • 大事なところまでは自分で選択する

マジこれに尽きる。逆に言うと大事ではないところはどうでもいい。
例えば昼休みに定食屋に入っておまかせを頼むとかがまさにコレ。
とりあえず、近場で飯食えればいーやぐらいのテンションであれば、店側が利益率高い商品を売ろうが一番うまいやつで無かろうが大して問題ないのである。
ちょっとまずかったとしても勉強代や話のネタにはなる。
ただ、昼休みに食い終わるためにはそこそこ早く出してくれる店選びまではしないとだめ。
コースしかない高級レストランとかに入ったらその時点でその後の択はすべてアウト。

他に大事なことがあるとすれば、その選択が得意な人に移譲する、逆に自分が得意な分野は選択してあげるという、責任と得意分野のトレードを行うことを意識することだろうか。 一方的なのは良くない、対価を払うか得意不得意のトレードをするのが良いだろう。

6. その他補足

あと選択で注意している点は以下

選択はしないといつまでたっても上手くならない
そして、生殺与奪の権を他人に握られて死ぬ。

「何も悪いことをしていない!」は免罪符にならない
じゃぁ「なんかいいことをしているのか?」というと大抵良いこともしていない。
そして、周りは良くなるように「いいことをやっている」のだから、何もしないのは相対的にはマイナス!

7. まとめ

とりあえず言いたいことは

  • 選択から逃げるな
  • 選択はしないといつまでも選択が上手くならない
  • 優先度をつけて他人とうまい具合にトレードできると良いね

の3本でした。んがくく。